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1995年度 アトピー乳児

昨年度から担当するようになった人事基幹システムの管理と開発も、組織改変や大規模な人事異動など1年間を経験したため、全容を把握できるようになりました。

出産予定日は10月上旬です。部署内に自分の仕事の全てを引き継ぐのにふさわしい相手はいませんでした。人手不足の折、次回の人事大異動の前に復帰しなければ人事業務が立ち行かない、と判断し、育児休職はしないことを決めました。当時は育児休職手当も出なかったため、休む価値なし、と考えました。

おなかが大きくならないうちに、保育所をあちこち見学し、産休明けから預かってくれる無認可保育室(2歳未満の赤ん坊だけがはいる小規模施設)を予約しておきました。

これまでに4回受験し、面接試験で落ち続けたハングル検定2級(準1級のない時期)に、妊娠8ヶ月でようやく合格しました。韓国語で「よく努力しました。安産をお祈りします」と試験官から言われたメッセージは忘れられません。

産前休暇取得にあたり、仕事上の大きな問題は、10月に予定されている人事考課の点数化処理でした。自分でデータベースを構築し、93年上期からずっと単独で担当している、間違いの許されない、難易度の高い業務です。

上司から、2年上の男性主任に引き継ぐよう指示されました。彼は恥ずかしげもなく「何にもできない人だと思って、手順は全部マニュアルにして」と言い放ちました。一人ではワープロもできないレベルなので、プリンターの電源オンから用紙の切り替えまで、詳細に記述させられました。根気強く何度も一緒に練習し、どうにかできるようになったので、産前休暇にはいりました。

実家に戻って、しばらくのんびりと過ごしました。真夜中に陣痛が来て入院、予定日の3日前の午後4時に男児を無事出産しました。やせて小柄でしたが、元気のいい赤ん坊でした。

退院の際、東京から夫もやってきて、皆で父の墓に立ち寄りました。「お父さん、こんな立派な孫が生まれましたよ」と、母は涙ながらに報告しました。

1ヵ月間、母にしっかりめんどうをみてもらいました。11月上旬、そろそろと車で上京し、3人家族での新生活が始まりました。

産後休暇が終わった後は有給休暇を使って年明けまで休み、1月上旬には予定通り職場復帰しました。

1日2回、母乳を職場で搾って冷凍し、保育室で飲ませてもらいました。ところが、アトピー性皮膚炎の症状が出始め、医師から母乳を止めるよう言われました。ショックを受けましたが、特殊ミルクに変えたら症状は軽減し、夫に授乳を任せることも可能になったので、よしとしました。