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1998年度 たかが歯車ひとつ

6月、旧式の給与計算システムが最新のソフトに置き換わりました。重い帳面と照合するような仕事が減っていくぶん楽になりましたが、要求される業務内容は変わりませんでした。

しょせんは、狭い範囲の大量の事務作業を一歯車として忠実にこなすだけで、自主的な工夫は許されない、という世界です。このような仕事には全く向いていないため、ミスも目立ちました。会社からしてみれば、文句ばかり多くて従順さのない社員。そしてこちらも、全体の見えない仕事は自分にはできない、と痛感したのでした。

若手出向者は少しずつ本社に戻っていきましたが、お局様はいつまでも残りました。うち一人は「全体のとりまとめ役」の美名のもとに具体的な担当を持たされず、暇を持て余して、私のした通勤費処理のあら探しに全力を上げ始めました。手伝ってくれるわけではありません。他の仕事に比べて、手計算やその都度の判断も多いため、難癖をつけようと思えばいくらでもできます。間違いを大声であげつらったり、新しい中途採用者の出勤初日、「お昼に一緒に行きましょう」と皆に声をかける際に私一人だけを抜かして誘っていくので参加できなかったりと、いじめはエスカレートしました。

そんな中、初級システムアドミニストレータという資格に出会いました。まさに自分が前職で担ってきたSE的な業務に沿った内容と知り、問題集を1冊こなして合格しました。

数年前からの知人で外資系生命保険会社の営業マンがいます。自宅に招き、生命保険の診断をしてもらいました。我が家の場合、住宅ローンを夫に集中させていたため、夫の死亡時にはローンが清算され、保険金や会社からの弔慰金をもらい、遺族厚生年金を受けて母子二人でなんとかやっていけます。ところが私が死ぬと、一人分の収入が途絶えるのにローンと幼児は残り、死亡保険金もこのままでは不足する、という驚愕の事実が判明しました。

信頼のおける人だったので、よく相談し、自分がローン残額見合いの逓減タイプ、収入保障タイプなど、4本の保険に加入することにしました。夫の新規加入の必要はありませんでした。

また、「子どもは3歳を過ぎれば丈夫になる」とよく言われているとおり、息子の喘息はだんだん軽くなりました。3歳になってからの1月の入院(通算6回目)を最後に、通院治療だけですむようになりました。