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2000年度 目指すは日本語教師

インターネットや新聞広告で日本語教師の募集を探し、精力的に電話で問い合わせをし、履歴書を送りました。職務経歴書は当然ワープロで作りましたが、当時はまだ手書き履歴書が一般的だったため、勤めと家事の合間に書くのがたいへんでした。

日本語教師未経験にも関わらず、韓国語に秀でていたためか、面接の声がどんどんかかったのが嬉しかったです。ある学校からは「あなたは向いています。長く現場にいますから、人物を見ればわかります」とも言われ、大いに自信がつきました。

しかし、遅ればせながら、この仕事はなかなか経済的自立レベルの収入が得られず、裕福な夫を持つ女性か親元暮らしの若者のボランティア精神によって成り立っている、という事実に気づいたのでした。

人事専門職での転職に方向転換しました。2社に一般応募したところ、教育関係の1社にヒットしました。システム構築に長けた人材を求めており、全体を見る立場で仕事ができ、企業規模も正社員1000人程度ということで、希望通りでした。何より、親会社子会社の隷属的関係がないのがよかったです。

面接の際、「今の仕事は、それはそれはつまらなくて」と語ったところ、「そうですね、あの会社、つまらないらしいですね」と言われました。同僚の誰かが受けに来ていたようでした。

8月中旬のある日の帰り際、上司に「9月末で退職します。ここにいては伸びませんから」と笑顔で宣言しました。

最終出勤日、皆に記念品を配りながらあいさつをして回りましたが、お局様だけには何も渡さず、素通りしました。

新しい会社の人事部では、上司もメンバーもいい人ばかりでした。改善すべき業務は多く、やりがいを感じました。人事システムの使い方はすぐにマスターし、この会社に合うサブシステムを作り始めました。有休残管理システムなど、前々職での経験がすぐに生かせたのでわくわくしました。

当面の主担当は、全国で500人を超えるアルバイトの管理制度改革でした。社会保険適用に着目した、3種類のコース別契約制度を立案し、来年度からの稼動に向け、動き出しました。

11月、保育所の同じクラスで延長保育仲間として親しくしていた母親J子が、一人息子の小学校受験の塾通いに専念するため退職すると聞きました。それなのに、保育所には今後も残ると言います。「幼稚園に移らないのか」との問いに対する答えは「だってめんどうくさいじゃん」でした。そして、当然のような顔をして失業手当をもらっていました。