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法律婚の前に

1992年夏、結婚が決まりました。

松本の実家にあいさつに来た夫と、先のことをいろいろと話し合いました。「あなた、DINKSのつもり?」と問われたので、「あまりすぐでは困りますが、しばらくしたら子どもが欲しいです」と答えました。夫が希望していた、社内制度による東京への国内留学の可否が決まっていなかったため、通らなかったときは私が名古屋への転勤願を出す、という方策も含めて相談しました。いずれにしろ、二人とも勤務を続ける前提で話をしました。

二人暮らし可能なアパートといえば、東京では10万円以上かかるのが普通で、契約金も含めるとかなりの出費となります。社宅ならば初期費用もなく、月1万円程度で、大違いです。夫は大企業に勤めていたので、社宅には問題なくはいれるだろう、ということでした。ただし、社宅にはいる条件は法律婚です。二人とも姓を変えなくてすむ事実婚を希望していましたが、そこは妥協することにしました。

夫の方が年長、収入も多い、何より夫の会社の社宅なのですから、戸籍上は夫姓とし、私はすべての面で旧姓を通す、ということにしました。私の勤務先でも旧姓使用は可能で、利用している先輩もいます。がんばれば、日常生活ではそれほど不自由なく旧姓でいけるだろう、と考えました。

夫の父は、婿養子です。夫も三男であるため、名古屋では姉妹や一人娘の見合い話がたくさん来て、もてもてだったということです。そのような背景があるため、自分も姓が変わる可能性を考えてきた人です。私の旧姓使用に全面的に協力する、と約束してくれました。

当時はインターネットもまだ普及していませんでした。実態がわかっておらず、「旧姓使用の貫徹」を楽観視していました。