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2018年度前期 白寿

息子が就職しました。勤務先の決まりで、千葉県の寮にはいることになりました。息子は目黒区駒場から住民票を移すことを悲しがり、免許証の住所は書き換えない、という裏技を使うことにしたようです。旧姓使用者の「免許だけが最後の砦」と同じ発想だな、と思いました。しかし、入寮したとはいえ、土日には寮の食事が出ないのと、遊びに出るのに実家からの方が断然便利なので、毎週もれなく金曜日に戻ってきて三泊滞在するのが習慣化しました。

4月21日土曜日、郷里の松本で、父方の三女の伯母の白寿を祝う会がありました。このとき、八王子のホームで暮らす五女の伯母をどうしようか、と後見人をしている従姉とも相談しましたが、すでに体はだいぶ不自由となり、記憶も残らないし、我々の自己満足で連れていくことになってしまってもいけない、ということで、やめました。大勢の親族の中には六女の伯母もいました。余興として、五女の伯母から譲り受けたアコーディオンであれこれ弾きました。練習してこなかった「見上げてごらん夜の星を」を急にリクエストされたときはあわてふためきました。三女の伯母は、
「生きるのももう飽きちゃったよ。なにか目標が見つからないと」
と言いながらも、ごきげんでした。

東京都行政書士会には、さまざまなクラブ活動があります。そのひとつ、公認団体のカラオケ同好会に1年ほど前に加入しました。歌自慢の宴会好きが集まっています。ただの飲兵衛集団ではなく、東京会の前会長に部長だの委員長だのが混ざっており、支部長や経験者も複数います。いつもの会場は格安で料理をいろいろ出してくれる良心的なスナックで、ふかふかした白いワンちゃんの接待も楽しみです。他のお客さんに愛想をふりまきながら即席で交流する、昔ながらのカラオケスタイルが性に合っていると、しみじみ思いました。

5月12日、大学の校友総会があり、その後の懇親会に参加しました。30年ぶり以上で、他の部活だった2年先輩の男性を発見。私の名札を見せると、
「あれ?独り身なの?」
と言われたため、旧姓使用は不自由なのでペーパー離婚した、姑に嫌がらせをされたこともある、という話をしました。すると、
「僕はゲイだから相手の親の反応がまた違って…」
みたいなことをさらっと言うのでした。
「えー、そうだったんですか!?」
「学生時代は隠してたけど、同じ部の人は今はみんな知ってるよ」
という調子で朗らかに会話は進みました。LGBT前提の会等で出会ったのではなく、もともとの知人がそうだとわかったのは初めてで、とても新鮮でした。

その翌日、友人の関わっている知的障害者楽団「ケセラ」の定期演奏会を聞きに、松本に日帰りしました。一般的な作業や物づくりではなく、楽団で収入を得ることを目標に結成された楽団です。キーボード中心ですが、ドラムやベースもはいっています。何年も続けて見ていると、1年前には何もできずにくるくる回っていた子が太鼓を叩いて歌まで歌えるようになる姿を確認することもできます。よその子をこういう風に見守るのもいいものだと思います。
http://npo-que-sera.org/

離婚の書類で、急ぎの委任状を待っていました。そのお客さんは、私が同封した青いレターパック(返信用封筒)を使わず、気を利かせたのか、高価な赤いレターパックに詰め直して投函したのでした。青ならば留守でもポストに入れてくれるのに、赤の書留扱い封筒にしてしまったために、こちらが夜まで外出だったため、かえって到着が1日遅れる羽目になったのでした。翌日も私は出ずっぱりだったので、再配達は在宅していた息子に受け取らせました。出先から、到着分の中身をチェックさせました。すると、委任状の捺印箇所、同封書類、いずれも問題ないとわかりました。さすが社会人。初めて息子が役に立ちました。

1999年の春、息子が東京六大学の応援団にほれこんだ頃からずっと神宮球場に通ってきました。ここ数年は、息子の代わりに早慶戦応援に参戦しています。春季リーグ戦で大事件が起こりました。ファウルボールが私の近くにバウンドしてきたのです。手元で小さく弾んだところをがっちりつかみました。今まで人がゲットするのをさんざん見てきた憧れのファウルボール。思わず、雄叫びを上げました。ボールにはグラウンドの土がついて、少し赤くなっていました。係の野球部員にボールを渡し、引き換えに記念の六大学バッジをもらいました。

6月11日は恒例の松本深高校東京同窓会です。一昨年のゲリラ的なアコーディオンによる校歌伴奏に昨年はバイオリンの先輩男性が加わり、今回はアコーディオンサークルに引きずり込んだ後輩女性も一緒に弾くことになりました。毎年メンバーが増えて、まるでブレーメンの音楽隊です。指揮をする八十代の先輩もご満悦でした。

原告として札幌で裁判をすることになりました。往復14000円の格安航空券と学生の合宿宿みたいなホテルを押さえて、成田から飛び立ちました。すると、札幌上空で長時間旋回した末に
「濃霧なので成田に戻ります」
と、18時頃に帰ってきてしまいました。その会社の振替フライトでは翌日の予定に間に合わないため、大騒ぎをして、別LCCの午前の便を新たに購入しました。片道で24000円くらいしました。そして次の日ようやく、初めて北の大地を踏みしめることができたのでした。

東京都行政書士会では、選挙管理委員会に所属し、3期6年在籍して副委員長も務めました。やりがいがあり、メンバーも大好きだったのですが、委員会の性格上、支部長との兼任はふさわしくないだろうと考え、委員長とも相談して、継続を断念しました。その代わり、副支部長の女性を押し込みました。私に代わって、立派な宴会部長になってもらいたいです。

松本にも温暖化の波が来て、夜寝苦しいからと、とうとう母がエアコンを導入しました。その工事を見て、お向かいさんが、
「娘夫婦の部屋にもエアコンつけたいから、電気屋さんを紹介して」
と言ってきたそうで、売り上げに貢献することもできました。その電気屋さんは、父の教え子だった人です。実家の家電の大半は昔からずっと、そこで買っています。大型店の安さより、すぐに来てくれる、聞けば教えてくれる、そういう安心感があって年寄りには頼りになる地元店なのです。

久しぶりに八王子のホームにいる五女の伯母の慰問に行きました。伯母を含め、車いすのおばあちゃんがたくさん集められました。アコーディオンで唱歌や童謡を弾くと、喜んで一緒に歌ってくれました。いつもは話すこともできないらしい人も、歌によっては口を動かしたりします。「荒城の月」でしめくくり、食堂に戻って伯母とオヤツを食べました。すると、先ほど参加していた84才の人が、隣のテーブルで、
「アタシは昔、選ばれて、着物を着てあの曲で踊ったんだよ」
と思い出話をしながら、涙を流しています。
「そんなに喜んでくれるなら、もう一度弾きますよ!」
とその場で「荒城の月」を演奏すると、車イスながら手をひらひらさせて嬉しそうに踊りました。

9月24日、関東アコーディオンコンクールは「重奏・合奏の部」を実施する年です。西城秀樹の「ブルースカイブルー」を重奏用にアレンジし、後輩と二人で出場しました。何十年も前から好きだった曲を自分の手で演奏することができ、幸せな気持ちになれました。所属サークルとしては、助っ人でピアノ、キーボード、ドラムを加えて「ラストエンペラー」を合奏しました。すると、優勝してしまいました。サークルでの最高順位は、私が初参加した2年前の2位。懇親会では勝利の美酒を味わいました。