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生涯最後の痴漢(たぶん)

2005年の秋のことでした。私は41歳で、法科大学院の1年生。土曜日でしたが、昼頃に自習室に出かけることにしました。

土曜の昼にしてはぎゅうぎゅうに混んだ電車が駒場東大前駅に到着しました。一人降りたその空間にそのままはいる感じで、1両目に乗り込みました。

渋谷までは2駅、3分程度です。同じ進行方向を向いて私の真ん前に立っている男が、後ろに手を回してきて、私の股をつんつんとつつき始めました。左手には競馬新聞を持っています。

真後ろおさわりなどという高度な技は初めてです。

次の神泉駅を出たあたりで、男の後頭部をゲンコツでぶん殴り、
「どこ触ってやがる、この野郎!」
と叫びました。

「何もしてませんよ」
と開き直るので、
「次で降りろ!」
と命じましたが、よく考えてみたら、渋谷は終点なので全員降りるのでした。

渋谷に着いてドアが開く頃、男は、
「後ろの方の改札に行きましょう」
などと言いだしました。目の前に大きなメイン改札があり、乗っていたのは1両目です。後ろの改札というのは、4両目あたりまで人をかきわけて戻る、というたいへん不自然な動きになります。

「ふざけるな、バカ」
と言い、
「駅員さーん、痴漢でーす!」
と大声で駅員を呼びました。

渋谷なのですぐに複数の駅員が集まってきました。

しかし、ここでなんともいえず不安になってきました。

駅員が誰も、痴漢の身柄を確保しないのです。

私が男の腕を抱えていたのですが、
「ちゃんと歩きますから!」
と言って振り払われたたため、服をつかみました。

左端の広い改札にさしかかったときでした。

痴漢がダッシュして改札を走り出ました!

そこで私の野生の本能に火がつきました。獣のように追いかけて痴漢に飛びかかり、押し倒しました。

「逃げやがったな!」

ちょうど傘を持っていたので、頭や顔を容赦なく殴りつけ、腹に蹴りを入れました。

やっと駅員が来て痴漢をつかまえました。事務室に行きましたが、私の興奮は収まりません。左ひざに穴があき、血が出ており、打撲の痛みが増してきました。当然、大学院に行くどころではありません。

パトカーで別々に移動し、お決まりの警察での調書作成コースです。ただし、前回から8年ほど経っていますので、調書をパソコンで書く、人形を使って再現写真を撮る、などの進歩がみられました。また、大きな渋谷署だったので、女性警察官が調書作成に当たりました。これも初めてです。

膝の痛みはひどくなり、氷をもらって冷やしたりしました。

160センチくらいで白ブラウス、紺色スカートをはいた女性役の人形と、痴漢役の若い男性刑事を使って、いろいろとポーズをつけます。人形はけっこうぼろぼろになっていました。酷使されているようです。日々の処理件数を聞きましたが、教えてもらえませんでした。再現撮影がやっと終わったかと思ったら、
「あ、データが残っていなかった、すみません、もう1回」
と、また一通りやらされました。苦笑いするしかありませんでした。

「後頭部をげんこつでぶん殴り『どこ触ってやがる、この野郎!』とどなりました」とありのままに供述したのですが、調書には「平手で頭をたたき、『何するの!』と言いました」と、女らしくというか、微妙に生ぬるく書かれていました。

夕方になって調書が完成しました。痴漢の供述具合によっては、車両を借りて現場検証になるかもしれない、と言われました。ちょうど刑事訴訟法で習っていることを実践できます。望むところです。

その日、ファミリーサポートセンターという事業で預かり会員をしており、近所の保育園児を預かって夕食のめんどうをみる予定があったため、パトカーで保育園に送ってもらい、その子と一緒に家まで乗って帰りました。園児も貴重な体験ができたというものです。

後日談がまだあります。お楽しみに。