BLOG ブログ

1991年度 父の急死

研修担当も2年度目となり、だんだん要領がつかめてきました。割合裁量があり、自分で考えて仕事をすることができましたし、業務の繁閑がはっきりしているので、休暇をとって海外旅行を楽しんだりもしました。

そんな秋、父が急死しました。60歳でした。

初めて、自分の家から葬式を出すことになりました。

性格が似ているためによく衝突していた父。しかし、外では「うちの娘は大型免許を取ったんだ」などと自慢話ばかりしていたといいます。そんなことも、弔問に来た元同僚の先生から初めて聞かされました。

喪主をどうするかという話になり、当然母だろうと思ったら、「自立した息子がいるのだから」ということになってしまい、就職1年目の弟が務めました。こういうところに田舎くささ、理不尽さを感じました。

大勢いる親戚から「お父さんは花嫁姿を見たかっただろうね」「孫を抱きたかったろうに」と口々に責め立てられました。あまりにうるさいので、勢い余って、「1年以内にムコを連れて帰ってやる!」と宣言をしてしまいました。

27歳。当時の大卒女子としてはそろそろ結婚適齢期です。

その後、昔の男友達を積極的に発掘しましたが、再会してみてもその気になれなかったり、物足りなさを感じたり、結婚相手として考えられる相手は見つかりませんでした。

大学4年生の時に「巨人戦の切符を発売日に並んで買うアルバイトをしてください」と、同志社大学体育会ヨット部の卒業生だという知らない男性から電話がかかってきて、わけのわからないまま役目を果たし、5千円振り込んでもらったことがありました。

一度も会ったことがなく、義理で年賀状を送っていただけの付き合いでした。その人から、喪中ハガキを見た、と6年ぶりに電話がはいりました。なんだか会話が弾み、そのまま1時間も話してしまいました。

名古屋在勤で、翌日東京への出張があるとのことで、五反田駅のホームで初顔合わせ。夕食をご一緒しました。

2月、私が大阪に出張した際、片道の新幹線切符を紛失しました。どうせ切符を買い直すなら、名古屋に寄って何かごちそうしてもらおうと思い、電話をして乗り継ぎ方法を教えてもらいました。

そんな風にして、遠距離交際が始まりました。