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1993年度 史上最悪の人間関係

4月から夫が上京、38平米2DKのボロ社宅で二人暮らしが始まりました。二人とも単身生活が長かったため荷物が多く、室内が段ボール箱だらけになりました。一緒になったのは嬉しかったのですが、一人きりになれる空間がどこにもなくなりました。

職場では人事課に異動し、新たに人事管理的業務も担うようになりました。年度替りで業務が集中する時期に新入社員研修が重なりました。

それまで自分のペースでやっていた新人研修を、合流したメンバーといちいち相談して進めらることを余儀なくされました。人手が増えて楽になるどころか、かえって滞り、たいへんなストレスが生じました。

深夜残業が続いて疲労で倒れたこともありました。

研修が一段落した後、新卒採用チームに加わりました。非効率的に思えた業務を改革しようとしましたが、従来のメンバーのやり方を否定するようなアプローチをしてしまい、関係が悪化しました。

話しやすい同僚や上司に相談し、さまざまな手段で改善を試みはしたものの、好き嫌いの感情が根深く残り、事態は好転しませんでした。

9月に1名が結婚退職。補充はなく、彼女のしていた仕事のほとんどを担当させられました。仕事はひとつひとつが異なる手順で進められており、帳面から転記し、電卓で検算する、といった原始的な方法がとられていました。

このような仕事はしたくなかったので、社員番号をキーとして、カード型データベースソフトを用いて量的に負担の大きい業務を効率的に、統一された進め方で処理することを考え付きました。

まだ一人1台のPCがない時代です。昼間、自分ばかりが端末を独り占めするわけにはいきません。将来を楽にするために残業し、データベースソフトのマニュアルと首っ引きで自習し、有給休暇管理、人事評価システムといった、各種のサブシステムを次々に構築するようになりました。

追い詰められたこの頃から、就職活動の頃にあれほど嫌だったシステムエンジニア的な能力が開発されていったのでした。