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1997年度 会社選び大失敗

転職が決まり、人事基幹システムおよびサブシステムの引継ぎをすることとなりました。社内に適任がいなかったため、新卒から選抜することになりました。

文系学部ながら、適性試験の数的処理能力が高くてSE向きの、地域限定型総合職女子を選んで後任としました。頭の回転が速く、素直で性格の良い子でした。しかし、退職までの2ヶ月弱で、人事システムの組織図やコード設定、異動発令など、ある程度会社勤めをしないと理解できないような業務をぎゅうぎゅうに教え込んだため、最終日には「これから不安でたまりません」と泣かれてしまいました。

6月1日からは新しい会社に出社しました。大学友人が以前に勤めていた総合商社の子会社なので、事前に電話で探りを入れ、「そこなら、同期生が出向していて、雰囲気がいいと聞いている」とのことで、安心していました。

ところが、現場は全く違い、本社からの出向者であるお局様達が幅をきかせていました。有名大学卒がずらりと揃い、人事業務経験が豊富だったり、社会保険労務士資格を持っていたりする優秀な中途採用者達は、皆びくびくしていました。

そこであてがわれたのは通勤費と住民税の担当でした。これが正社員一人の仕事として成立するのかと、我が目を疑いました。対象人数が多いのと、信じられないほど多くの例外や細かい取り決めがあるため、定時の間で処理するのがやっとでした。ひどく時代遅れのシステムを用いていて、日々、いくつもの重いファイルや表を見ながらバッチ書類の項目を手書きで埋め、ごちゃごちゃした日割り計算をし、定期券払い戻し書類を書く仕事の繰り返しで、首ががちがちに凝って頭痛がし始めました。

アトピー性皮膚炎の治まった息子が、2歳の誕生日を前に喘息の発作を起こすようになりました。9月を皮切りに数回の入院。保育所からの呼び出し、夜中の救急外来への駆け込みは数知れず。私自身が小児喘息の持ち上がり患者、経験者であることがかろうじてアドバンテージとなりました。おかげで、おたおたせずにすみました。

入院のたびにつらい思いをしましたが、「自分が会社を辞めても息子の喘息は治らない」と考え、勤めを続けました。都心の病院では、一旦入院すると完全看護であり、昼間の付き添いを求められなかったことが救いでした。