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2001年度 保育所暴言事件

新年度から導入された、アルバイトのコース別契約制度は、当初いくぶん混乱したものの、徐々に全国に浸透していきました。勤務実績の蓄積から、契約更新予定者のチェック表出力、新しい契約書の発行、有給休暇付与まで一貫してできる契約管理データベースシステムを構築しました。

保育所に通う息子の、年長クラス懇談会が9月22日に開かれました。小規模な園であるため、出席者は母親4人と担任保育士のみでした。子どもたちはその辺で遊んでいます。

そこで母親のS子が突然「あと半年だと思うから言いたい。アナタが傷ついてくれると嬉しいんだけどね」と口火を切り、我が家の親子関係について発言し始めました。

S子とは迎えの時間帯が違い、年に数度しか顔を合わせておらず、うらみを買うような覚えもありません。呆然とするばかりでした。「アナタが自己防衛に走るんじゃないかと」「家で子供にわーっと言わないかと心配で」とまくしたてながら次々に逃げ道を塞ぎ、私を追いつめます。保育士は何のとりなしもしません。

その後、日に日に気分が重くなり、眠れず、一日に何度も涙が出て、みるみる精神状態が悪くなりました。

ある行事を前にして、自分がこわれていくのを感じました。「あの女が来る場になど行けない!」行事には息子と夫だけを参加させました。

10月2日、自分の症状や心境を詳細にメールに書き、「こんな保育所になど預けなければよかった。卒園までは通わせるが、今後の行事に自分は一切参加しない」と保育士に送信しました。翌日保育士が自宅に立ち寄りました。S子に現状を知らせるように言いましたが、何の連絡も来ませんでした。

親しい母親3人に話してもはっきり味方をしてくれず、不快感が募りました。S子に対しては保育士を通じて「電話かメールか手紙で謝れ」と具体的に伝えましたが、やはり何も言ってきません。

10月18日、S子に電話し、謝罪するよう迫りましたが「会って話しましょうよ」「こんなこと電話じゃ言えないわあ」とふざけた応答をするばかりでした。「電話で謝る気がないならもういい!」と叫んで切り、怒りのメールを送りつけました。

運動会の前々日である10月25日になってようやく、S子から電話での謝罪がありました。遅すぎる謝罪、心のない謝罪は何の効果もない、と知りました。S子に会うと精神のバランスを崩すことが目に見えていたため、運動会には行きませんでした。

この間、大学同窓では数少ないワーキングママ同士と知り、前年あたりから再会するようになった友人に事件を伝えようと、職場宛てにメールを2回送信しましたが、先方のサーバから弾かれていたようで返事をもらえず、なぜか不達連絡も来ませんでした。これも傷を深める一因となりました。自宅宛に送りなおすと、全面的に私の気持ちに寄り添い、一緒に憤ってくれました。もっと早く連絡がついていたらどれだけ心強かったことかと思いました。

その後も寝付けず、泣きながら酒を毎晩飲むようになり、11月になってから、前年卒園した子の母親でカウンセラーをしている人に打ち明けました。電話で「あなたは全く悪くない。保育所でこんなことが起きてはならなかった」と断言され、かなり楽になりました。

それでも、S子の顔を見るだけで動悸が早まり、不快感が増し、精神状態が悪くなる現象は変わりませんでした。それ以外でも、ちょっとしたきっかけで感情のスイッチがはいってしまうのはどうにもできません。今まで5回、先輩園児を見送ってきた卒園式を、我が子の番になって初めて欠席しました。東京にいるのもいやだったので、仙台に旅行しました。

最低最悪だったこの年、よかったことと言えば、秘書検定の準1級に一度で合格したことくらいでした。