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2010年度 12人相続

2月末に、亡父の6人いた姉のうち長女の伯母が94歳で他界しました。2018年1月に亡くなった四女の伯母(独身)の相続は何も進んでいませんでした。父の実家の跡継ぎ的な立場である従兄から、「業務として相続手続きを受任してほしい」と頼まれました。生存している伯母が3名、叔父が1名、代襲相続する姪甥が私を含めて8名。たいへんな人数です。

この相続は早期にやりとげなければ、と考え、出願をしていたものの、この年の新司法試験は早々に受け控えを決めました。

親族とはいえ、皆と交流していたわけではありません。関係者の連絡先を調べ上げ、できるだけメール連絡がつくようにしました。長女の伯母の四十九日、相続人には自分の戸籍や印鑑証明、実印を持って集まってもらいました。その後、松本に帰って戸籍を集めたり現地に住む相続人の署名捺印をもらったりし、思ったよりも短期間で相続手続きを完了することができました。

五女の伯母(独身)は世田谷のマンションで一人暮らしをしています。これまでしばしば、いとこ会を開いてきたらしいのですが、15人いるいとこのうち、父と叔父のところの4名は年齢が離れていたため、みそっかす扱いで、これまで呼ばれていませんでした。相続をきっかけに親しくなって初めて招いてもらえ、皆でわいわいと楽しく過ごしました。

伯母の相続がきっかけとなり、衝動的に自分の戸籍を集めてみたくなりました。最近は自分や身内の戸籍を取るのにも理由を細かく聞かれますが、この頃はそれほどでもなく、無事に7枚の戸籍が揃いました。

中学校の修学旅行を前に、どうもカメのタライの水がきれいでおかしいと思ったため、息子を問い詰めました。ハムスターは親子で協力して世話をしていますが、カメはおまつりですくってきた息子が責任もって世話をすることになっています。1週間もの間、めんどうをみていなかったことが発覚しました。ごめんなさい、と私に言ってきたので、「謝るならカメに謝れ!」とどなりつけました。

東京都行政書士会の総会、これまで2回、傍聴をしてきましたが、初めて支部の代議員に選出されました。長丁場で疲れましたが、誇らしい気持ちで、評決に参加しました。

今の住宅に新築で入居したのは1996年のことです。そろそろ屋根と外壁の塗り替えの時期が来ているようで、さまざまな業者からアプローチがあります。押しつけがましいところ、うさんくさいところは外し、知人を通じて誠実で良心的な見積もりを示してくれた業者に頼むことができました。

町内会報の編集部にはいってくれないか、と頼まれました。断るのがへたなので、引き受けてしまいました。女性ばかりで和気あいあい、編集や校正のイロハも学ぶことができました。

8月6日、誕生日にパチモン学者が釜山から帰国するついでに、渋谷の中華料理店でオフ会を開きました。私と彼が日記のコメントでばちばち火花を散らすのにいつのまにかファンがつき、パチモモファンクラブという会ができたのです。幅広い面々が集まり、楽しいひとときを過ごしました。

松本の山奥にある、亡父の実家に初めて息子を連れて行きました。跡継ぎの三女の伯母91歳と、世田谷在住の84歳の五女の伯母がいました。三女の伯母は耳が遠いのですが、「この梅漬け、アタシが漬けたんだよ」としゃきしゃき話します。五女の伯母はショートパンツ姿ではつらつと歩き回ります。名古屋在住の夫の両親が年寄りくさいせいか、息子は「年をとっているのにこんな元気な人を初めて見た」と驚いていました。

野球部を引退し、息子は高校受験に向けて夏期講習に本腰を入れます。しかし、定期試験の理科は23点でした。

10月21日、区内中学生英語スピーチコンテストが開かれました。参加者はわずか6名、息子は善戦したようですが、優勝したのは流暢に話す帰国子女だったそうです。小規模なコンテストだからクラス分けも何もありませんが、先生は「日本語ネイティブの子のためのコンテストにしてもらいたい」と残念そうでした。息子は、聴衆を見ながら表情豊かにゆっくり話せた。ということです。

入試の調査書をよくするために、英検3級と準2級を併願、数学検定3級も受験しました。両方とも一次試験に合格してました。「うわ、準2級、まじウレシイ!」息子は狂喜乱舞しました。幸い、面接もダブルで合格できました。漢字検定準2級にも合格しました。

第一志望は都立国際高校でまったく変わりがありませんが、併願先の私立選びにはぎりぎりまで悩みました。東京の私立受験では、チャレンジ校、実力相応校、滑り止め、と3校受けるのが普通なのですが、受ける予定だった実力相応校の説明会がつまらなかったので出願直前に翻意しました。あわてて同じ日に実施される同レベルの別の高校を私だけが見に行って、願書をもらってきました。

2月10日から、私立高校受験の三連戦です。初日に受けた実力相応校に合格したので、すぐに入学金の30万円を納めに行きました。チャレンジ校には失敗しましたが、これで安心して都立を受けられます。

全然知らない人から電話がありました。2社目に清掃ではいっていて知り合った大久保さんの弟さんということです。拾ったネコの子のもらい手を見つけてくれたこともあって仲良くなり、ずっと年賀状を送っていました。ガンを患った大久保さんは亡くなったそうです。私には連絡をするように、と頼まれていたとのことでした。万年筆の文字がとてもきれいだった大久保さんのことは、一生忘れません。

さまざまな資格をエサで釣って合格させてきた息子、とうとう第一志望の都立高校に受かりました。夫から、破格の合格ボーナスを与えました。

3月11日、私は確定申告のために祐天寺の税務署にいて、階段で行列を作って待っていました。突然の地震。防火扉がゆっくり動いてきます。「こんなところで死んでたまるか!」とばかりに扉を元に押し返しました。電車はあてにならないと判断し、45分くらい歩いて帰宅しました。自宅の被害は食器棚のコップ2個でした。息子はバスでディズニーランドに卒業遠足に出かけており、中学校に戻ってきたのは午前1時でした。浦安の駐車場で、液状化現象を見たそうです。