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2009年度 初めての新司法試験

息子の中学校の保護者会に参加しました。クラス替えがあり、名簿が配られました。入学したときには男子が先の名簿だったので、「小学校は全員の五十音順だったのに、時代遅れではないか」と苦情を入れておいたためか、混合名簿に変わっていました。

東京都行政書士会目黒支部の支部総会に初めて参加しました。実は、昨年度末の遺言研修に参加した際、支部長から封筒を手渡され、中の紙には役員会の日時が書かれていました。ただの新人なのになぜ呼ばれたのだろうと思って出席すると、ただの渡し間違いと判明しました。そんな勘違い積極性が評価されたのか、複数の行事に参加したせいか、支部役員(理事)に任命されました。この総会で、3期務めた女性支部長から別の女性支部長に交代し、気分一新です。

新司法試験を初めて受けました。4日間の長丁場です。最終日の夜、へとへとになるというより、妙に神経が高ぶってしまい、全然眠れませんでした。

韓国語を習いたい人を紹介され、個人指導をすることになりました。キューティーハニーを歌えるようになりたいという、はっきりした動機です。彼女の家に近い場所のカラオケボックスで文字の組み立てから歌唱指導まで、自分も楽しんで週1回教えました。

5月末、庭にネコの母子が出没し始め、とうとう子ネコだけが3匹、常駐するようになりました。我が家は少々特殊なつくりで、道路からガレージとしての橋を渡って2階の玄関に進むようになっているため、庭が全く公道に接していません。だから安全なのです。ママは通ってきているようなのですが、子ネコの鳴き声に身もだえする毎日となりました。

6月8日、庭から子ネコのものすごい悲鳴が聞こえました。飛び出してみると、3匹の中で一番トロい白キジ模様の子が植木鉢の陰で震えており、上空をカラスが飛び回って、怒って見せても逃げません。しかたないので子ネコをつかんで家にかくまいました。みゃう子ちゃんと名付けて、獣医にも連れていき、10日間めんどうをみました。息子もかわいがりました。mixi友達がもらい手探しに協力してくれ、6月17日、無事に里子に出すことができました。

その後、自宅にしっぽの長いねずみの成獣がはいりこみました。ミニトマトの味がわかるようで、赤いのは食べて黄色いのは残していました。ねばねばシートでは捕まらず、いろいろなものを食べられたりかじられたりし、10日以上かかってようやく殺鼠剤で退治したのでした。みゃう子ちゃんがいたら、戦ってくれたでしょうか?

資格マニア仲間から「基本的な資格を持っていなくてどうする」と責められ、4級アマチュア無線と危険物丙種を取得しました。

8月30日、初めての貸金業務主任者試験が実施されました。この頃、新型インフルエンザが流行しており、マスク着用が義務付けられていました。真夏に慣れないマスク、自分の息にのぼせました。初回実施なので過去問題もなく、わずかな予想問題しか手元にありませんでしたが、mixi仲間で情報を交換し、励まし合い、大挙して受験したところ大半が合格しました。あるメンバーなどは民法がまったくわからないのに、予想問題集の肢をバラで丸暗記して、奇跡的に合格を勝ち取りました。

新司法試験、全然点がとれていませんでした。チャンスはあと2回です。

夫婦別姓の取材ということで、母子で「週刊女性自身」の記者に会いました。彼は早稲田大学の応援部で主将(団長)をやりたくて、名門静岡高校から浪人して入学、希望通り主将になったという話をしてくれました。息子の中で何かが動き始めました。

韓国の東西大学に勤めるパチモン学者にまた招かれて、10月30日、釜山に飛びました。今度はサービス接遇検定実技対策の特別講師をします。学生の付加価値を高めるため、さまざまな資格を取らせているということです。実技の演習に重きを置き、グループワークで討議をさせるなど、実践的な講義になるよう工夫をしました。

離婚公正証書のお客さんが「正社員の転職先を探しているけど、なかなか書類が通らなくて」と困っていました。職務経歴書を見せてもらうと、「出産のため退職」などと、不利になるようなことが書かれています。大サービスで職務経歴書を整理し、書き直しました。社歴が多いのを嫌がる会社もありますが、そこを経験豊富とアピールし、資格をとっていなくても「パワーポイントが得意です」と書くようアドバイスしました。すると、書類選考が通過するようになってきた、と連絡があり、最終的に正社員として転職できたそうです。

2006年秋に我が家で生まれ、息子の友達にもらわれていったハムスターの「茶子ちゃん」を年末に預かりました。一家で海外旅行に行くためです。3年超というのはハムスターとしてはたいへんな長寿です。柔らかくしたエサを与えたり、神経を遣いました。帰国後、無事に生きたままお返しすることができました。茶子ちゃんは1月下旬に他界したということです。

産業カウンセラーの実技試験、試験官が喜びそうな問答をよく研究し、三度目の正直で合格できました。

1月31日、野球の練習試合から帰ってきた息子が「膝が痛い」と訴えました。救急に連れて行ったり、翌日改めてみてもらったりした結果、膝蓋骨骨折で松葉杖をついて歩くことになりました。

間もなく、中学校で高校見学という行事がありました。いくつかのグループに分かれ、都立と私立、1校ずつ見学に行くというものです。息子は歩行が困難なので、人気の高い、近所の都立国際高校に行かせてやろう、ということになったようです。そして、一目ぼれして帰ってきました。国際高校にはいるために全力を賭ける日々が始まりました。

行政書士としてろくな収入のなかった前年はすっ飛ばした確定申告を、今年はしました。しかし、何をどう書いたらいいかわからず右往左往しました。控除額が大きいというメリットがあるとかで、誘われるままに、青色申告会に入会しました。