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結婚式で感じたあれこれ

1993年1月10日、名古屋で挙式、披露宴をしました。友人の教会式の結婚式は経験していましたが、親族が多すぎるため神前式の挙式には招かれたことがなく、自分の式が初めてでした。薄暗いところで親族の年寄りがたくさん並ぶ、辛気臭い儀式でした。

二人で読み上げる、式場側が作った原稿には、夫がフルネーム、私の姓は書かれていなかったので、本来の姓を補って読みました。

「お席改めでございます」と言われ、なんのことかと思ったら、中央にいた新郎新婦が、夫側の親族席に揃って移されました。これではいかにも、私が夫側の一族に取り込まれたみたいではありませんか。このような目に遭うとは思ってもみませんでした。東京で勤めていて式場側とあまり打ち合わせができなかったのですが、標準マニュアル任せにせず、もっと詳細に進行を確認しておくべきでした。結婚式に慣れている母に後で聞きましたが、長野県ではあんなやり方は見たことがない、ということでした。

披露宴も、放っておくと標準形で、「花嫁からの手紙」「両家を代表して新郎の父のあいさつ」「新郎からのお礼」というように、男中心、家父長的な側面が出てきてしまいます。手紙はカット、私の母にもあいさつさせようとしましたがこれは抵抗されて断念、最後は二人で交互に「誓いの言葉」を述べる、というスタイルにし、最後は二人とも本来のフルネームで結びました。

結婚式の費用は、祝儀袋を片っ端から広げて現金をかき集め、翌日支払いました。その祝儀袋の表書きが、何名かは「伯母の夫の名」になっていました。実の伯父が亡くなっているところは例外的にその妻に来てもらいましたが、招待したのは実の伯母や叔父のはず。連名でもなく、招いてもいない人の名前だけを書く風習は、いったい何のメリットがあるのだろうかと首をかしげました。

2015年、愛知県に住む夫の甥が結婚式を挙げました。神前式ではあったのですが、今はショーの要素も強く、外を行列したり、植樹をしたり、式場に友達も入室できてみんなに見てもらえる、明るい式でした。もちろん、「お席改め」などありませんでした。若い人に喜ばれないやり方は、自然にすたれていくことがわかりました。のし袋の表書きも変わっていくことでしょう。