初めての取調室
服装から思い出してみると、夫と婚約中の、1992年秋か冬だったと思います。
当時の職場は五反田、商店街でうまいキムチを買って、池袋に向かう山手線の車内のことでした。
けっこう空いているのに、後ろの男が妙にくっついてきている感じがします。でも、普通の痴漢のようにおしりを触っている実感がなかなかつかめません。
やがて、触られている確信が持てたので、腕をひねり上げました。
無表情な、大柄でもさっとした30歳前後の男でした。
「ここで降りろ!」
と高田馬場で引きずり下ろそうとしました。
ドアに向かって歩き始めたところで、はいていた黒いロングスカートがずるっと下がりました。
「この野郎!ファスナー下ろしてたのか!?」
普通、女性がスカート後ろ中央のファスナーを下ろされて気づかないはずがないです。しかし、あまりに巧妙で手馴れていました。「何かがよりかかってる?」くらいの違和感のうちにそっと下げられていたようです。
手でスカートを押さえ、怒りにまかせて駅員さんを呼び、男を引き渡しました。駅員さんが男をチェックすると、手にはぼろぼろになった切符を握りしめていました。切符がそんな風になるまで、山手線でくるくる回りながら痴漢をしていたようです。
事務室でしばらく話した後、新宿区戸塚警察署にパトカーで移動しました。
何度も痴漢に遭ってきましたが、警察まで行くのは初めてです。
名古屋の彼から留守宅に電話があってはいけないと思い、警察から電話をかけて、事情を説明しました。
「うんと、とっちめてやってください」
と励ましてくれたので、大いに闘志がわきました。
警察での調書作成も初めてです。薄い紙にカーボン紙をはさんで書いていくのがおもしろいです。
何時何分頃の犯行、場所は何両目の何番ドア、右側か左側か、など細かく特定していきます。
相手の男の正体も伝えられました。中央大学法学部卒の司法試験浪人。カケラも同情できませんでした。当時の私と同じ28歳だそうです。稼ぎもせず、山手線を何周もしながら痴漢やファスナー下ろしの腕ばかり上げて、どうして司法試験に受かるというのでしょう?これでは親がかわいそうです。
調書の完成までは何時間もかかりました。いろいろと、決められたお作法や、フレーズがあるようです。「相手は親戚でも知人でもなく、まったく知らない」「こんなことをされてたいへん恥ずかしい」などです。
調書が仕上がった頃には、終電がなくなっていました。パトカーで送ってもらえました。キムチも忘れずに持って帰りました。
この日、「調書を作るのは時間の余裕のある時に」ということを学びました。