BLOG ブログ

2011年度 高校生のママ

行政書士会の目黒支部では、2年前に就任した支部長が続投するものと思っていましたが、1期で交代することになり、副支部長のベテラン女性が昇格しました。新支部長から誘われて、私も副支部長兼総務部長に就任しました。

長年営業した近所の洋品店が閉店することになりました。大処分のセール中、子ども用肌着などはたくさん買って知人にプレゼントしたり、東北の被災地に送ったりしましたが、店のおばあちゃんが「男物の足袋が残ってしまった」と言います。さすがに避難所でも需要がないだろうと思い、東大の茶道部に話をつけたところ、ぜひ欲しいとのことで、無事に引き取られていきました。

息子は第一志望の都立国際高校に入学し、野球部に入りました。7年連敗の弱小部ですが、朝練習はありました。それでも息子は、大学受験を一番に考え、春休み中に決めてきた塾に足繁く通い始めました。

歩数メールが毎日届く携帯電話を松本の母に持たせたいと考え、私と家族契約にして、らくらくホンを手配しました。前もって入手しておいた連絡先を全部登録してから送りました。

息子の高校の名物行事、体育祭では応援ダンスの衣装も責任者が凝りに凝ってデザインし、それを1年生の保護者が縫います。布はすべてセットで配布されるのですが、洋裁のできる私でも悲鳴を上げるような、布の種類や部品が多く、リバーシブル仕立ての、とんでもない衣装でした。またこんなときに限って、ミシンが故障してしまいました。あわてて世田谷在住の五女の伯母のところに駆けつけ、ミシンを貸してもらいました。新司法試験の直前にこんなものを縫っていていいものだろうか?とも考えました。今回の試験は、中休みがありました。その日にちょうど体育祭が開催されるというのは天の采配でしょうか。もちろん、見に行きました。

2007年に集まった高校同期生の連絡先を少しずつ増やして、bccで一斉メールを送っていたのですが、なにかと不便なのでyahooメーリングリストを立ち上げました。150人でスタートを切りました。

8月5日、1Fのハムスター部屋で異変が起こりました。オスのクロロのカゴの中に、ヘビがとぐろを巻いています。クロロを丸飲みしたらしく、胴がふくれています。空腹時にカゴの隙間からもぐりこんだものの、出られなくなったようです。私は庭に逃がしてやろうとしましたが、息子は「仇を討つ」と、金づちを持って出てきました。ヘビはなかなか絶命せず、庭に埋めてもしばらくは土をはねのけたりしていました。メスのまめちゃんは無事でしたが、家族全員、その後も長くトラウマに苦しめられました。

10月12日、後輩を連れて新宿のパキスタンカレーの店にクーポン利用で行きました。案内文では「盛り放題」というふれこみでしたが、たいして大きくもない皿を1枚渡され、しかも「盛るのは1回限り」と言われました。サラダもライスもカレーも、ごちゃごちゃに盛らざるをえませんでした。割安なクーポンではありますが、一つ一つの味も低レベルでした。後輩から「これではクーポンのありがたみがないですね」と言われる始末でした。あまりの怒りにIDを登録して、食べログレビューを書き始めました。

10月19日、早稲田大学応援部の卒業生と連絡をとり、息子と3人、渋谷でランチをとりました。息子は幼い頃、東京六大学の応援団を夢中で追っかけており、その頃大好きだった人です。進学先として早稲田大学、部活は応援部、というのが息子の夢なので、部活と学業の両立などについて相談にのってもらいました。彼は両立できていなかったようですが、「学生時代しかできないことをするのが一番じゃないかな」と話してくれました。記念写真を撮ったら、いつの間にか息子の方が背が高くなっていました。

11月13日、行政書士試験の監督をしました。私の部屋の補助者としてついた男子大学生に、「息子が早稲田の法学部を狙っていて、日本史の一般受験を考えている」と話したところ、「僕、まさに同じ受験で入りました」と言われました。高校の雰囲気として、推薦やAO入試で決めていく先輩が多いため、同じ受験パターンで参考にできる人が周囲にはなかなかいないのです。連絡先を交換し、後日3人で食事をしました。彼は後々まで息子のよき相談相手となりました。

1月10日のことです。年内にがん保険を相談して2回会ったFPと再会しました。話のテンポが速い女性で、初回は意気投合し、次の約束もしました。前回の面談では、ある程度こちらの財産状況を話した後、当日中にメールでさまざまな数字を渡しておきました。ところが、キャッシュフロー表が送られてきたのは約束の前夜でした。しかも、私の厚生年金や満期予定の養老保険、貯金も教えてあるのに入力されておらず、赤字の悲惨なライフプランとなっていました。私もAFP資格を持っています。あまりにひどいので自分でキャッシュフロー表を作り直して持って行きました。そして、どういうところが不適切だったかをたくさんの箇条書きの書面にして示し、こういう人には頼めない、と断言して別れました。

息子が16歳になったら、最強の身分証明書である運転免許を取らせようと決めていました。誕生日は10月でしたがなかなか行ける平日がなく、2月16日、高校入試で在校生が休みの日に鮫洲試験場に連れて行きました。午前中に小型特殊試験に合格しましたが、午後の原付試験には落ちてしまいました。3月12日、三度目の正直でようやく原付にも合格しました。しかし、野球部で心意気を示すために坊主頭にした写真が、ここに残ることになりました。