2013年度 大学受験てんやわんや
高校の新入生歓迎行事でソーラン節の「国際男児」を踊り、息子は副総長を引退することになりました。これは内輪の行事なので、親は見られません。金髪にして、気合を入れて踊ってきたようです。
行政書士会目黒支部では、四十代の男性が支部長に就任し、女性支部長連続3名10年間の歴史に一区切りつきました。私は引き続き副支部長兼総務部長として支えることになりました。
5月27日、渋谷で大好きだったさぬきうどん店、小麦房が閉店することになりました。とてもいい店だったのに、嫌がらせのようにすぐ近くに大手うどんチェーン店が開店、持ちこたえられなかったようです。思い出に、同年配の実力派食べログレビュアーを集めて、オフ会を開きました。皆、うどんの味をほめて、惜しがってくれました。
6月8日、2007年から毎年参加している、高校同窓会の東京パーティーがありました。6年上の先輩が話しかけてきました。「あなたのお父さんに中学で教わったんだよ」「それも、僕がS中学からM中学に転校したとき、先生も同じ時期に異動になって、校門の外あたりで『お前、S中にいた○○だよな?』と声をかけてくれて、すごく嬉しかったんだ」「他の先生のことなんてたいがい忘れちゃったけど、お父さんのことはよく覚えているよ」その場で母に電話をかけて、先輩と話してもらいました。
7月9日、息子の高校野球、夏の大会です。応援に向かおうとしたら、自宅最寄り駅で、何やら親族と電話で言い争い、「死んでやる」と言って女性がホームの縁に座り、線路に向かって足を出しました。「そんなことはやめましょうよ」と取り押さえ、「誰か、駅員さん呼んできて」と叫ぶと、何を思ったか、停止ベルを鳴らしてしまう人が。「死んでやる女」は、走って逃げ行きました。神宮第二球場での試合、本日は高校が変則授業で午前で終わったこともあり、大勢の仲間たちがやってきて、チアリーディング部中心に即席のコールを作り、大きな声で応援してくれました。最終的には13対4、8回裏でのコールド負けとなりましたが、なかなかの試合内容で、これが引退試合なら息子も満足だったと思います。
毎年参加する、サンマ炭火焼きで有名な区民まつりでは、行政書士会のテントを出して、参加賞を含む景品をちらつかせて簡単な相続クイズ(5問)を実施します。だいたい400~500枚回収します。毎年少しずつ問題を見直すのですが、この年は特に、真剣に討議しました。
ファミリーサポートセンターという制度があります。生活時間に余裕のある援助会員が、小さい子がいて手伝ってほしい利用会員を助ける、というものです。これまで、保育園に迎えに行ってしばらく預かる、という援助をしたことが何度かありますが、珍しく遠方の幼稚園への送りを週2,3回、という依頼がきました。年長の女の子Aちゃんはおしゃまで話し相手をするのもおもしろく、私自身も楽しめるサポートとなりました。
この頃、私のスマホはスライド式のキーボード付きという珍しいタイプでした。電車に乗っている時間がけっこう長いので、スマホを使ってAちゃんにローマ字入力を教えました。飲み込みのいい子で、すぐにマスターしました。Aちゃんがキーボードを打てることに後で気づいたママがびっくりしたそうです。
11月9日、前々から実行委員会として準備してきた、松本深高校卒業30周年記念行事が開催されました。市議会議員に山岳カメラマン、各界で活躍する同期生が、現役生徒に向けてさまざまな特別講義をしてくれました。380名以上いた同期生のうち、8名が逝去していました。式典、懇親会、二次会と、大勢参加してくれて、旧交を温め合ったのでした。
12月30日早朝、何者かが我が家の車をばんばん叩き、騒いでいます。夫が窓から怒鳴りましたが、立ち去りません。夫が警察に電話したうえで、家族3人で取り押さえよう、と玄関をあけてみると、酔っぱらってそこらじゅうに吐き散らかされていました。そこへパトカーが来ました。近所に住む、若い泥酔男でした。冬ですし、普通はパトカーの中に入れて事情を聴いたりするようですが、警官も汚いのはイヤらしく、外で話をしていました。
1月6日、大学受験の手続き解禁です。「こんなもん、期間内ならいつでもいいんだよ」と受験慣れしている私が軽く言うと、「早い受験番号がとれた私立高校にはいい感じで合格できたから、初日に手続してほしい」と懇願され、6大学11口を一度に申し込むことになりました。当時のカード払いは大学側の不備が多かったうえ、手数料が高かったので、結局銀行で入金しました。331000円の現金が一瞬で消えていきました。
1月、父の弟である叔父が80歳を前にして亡くなりました。8人いたきょうだいも、これで伯母3名が残されることとなりました。
1月25日、ご縁があって、LECの渋谷校で開業後の行政書士について講演をしました。開業というテーマなので、いきおい参加者は合格済みの人ばかりとなり、聴衆は少なかったのですが、その分一人一人にじっくり話を聞くなどして、自分にとってもいい経験になりました。
2月9日、大雪の中、評判のいいカレー店で、早稲田大学応援部主将に会いました。息子が早稲田を第一志望としており、応援部に入部するつもりなので、名刺の裏に励ましの言葉を書いてもらいました。
2月15日、またもや豪雪。息子の第一志望である早稲田大学法学部の受験日です。急に試験開始時間が繰り下げられ、足もびしょびしょという最悪のコンディションの中、受けてきました。
2月21日、試験の手ごたえがよくないのか、弱気になりかけた息子のために、滑り止め校に入金することを約束しました。夫が全額払いこんでくれたのはよかったのですが、翌日、この大学は同時に住民票や写真等の書類も昨日消印有効で全部出さないといけなかった、と気づきました。急いで今日出して、一日くらいなんとかしてもらおう、とわあわあ言っている間に息子から「早稲田の法学部に合格した」とメールが届きました。
進学に備えて、息子の交通カードのオートチャージのために、私のクレジットカードの家族カードを申請することにしました。問い合わせたところ、高校3年生は3月1日から受け付けてもらえると判明しました。現金でチャージしたら負けなので、クレジットカードとの連携を、手を尽くして調べました。ファイナンシャルプランナーとして、損をしないために努力します。
3月13日、高校卒業式です。基本は制服なのですが、アレンジはてんでばらばら、女の子は花冠をかぶったりし、証書の受け取りスタイルも好き勝手で、およそ「厳粛」という単語の似合わない、自由奔放な式でした。乙武洋匡さんが来賓としてスピーチしました。「今日は本音で話しますね。いろんな学校の卒業式に教育委員として呼ばれましたが、こんな楽しい卒業式は初めてです。ステージにはいろんな国旗、グローバルな環境でいい成長をしてきたんですね。でもね、みんな、世の中にはこういう自由さを歓迎しない世界もまだまだたくさんありますから、心しておいてくださいね」